病気なのか、性格なのかきかれてもわからない

患者ご家族「星の妹」さんの体験記

 

軽い鬱に近いかな、という診断から双極性と診断されるまでに10数年もの年月がかかりました。一部では完治などない、と意見を見聞きし、絶望と投げ出してしまいたいと思うことも多々ありました。

診断名がはっきりしても、現実身近で接していると身内の自分でさえ、ただの性格が悪いだけではないのか?と疑念をもってしまう。それは本当に頭が狂っていてどうしようもないだけならばそうは考えないのです。周りが、あたふたしている中で理路整然と物事を考えて意見や行動をきちんとしている時や、時には頼れる存在になったりすることもあります。 が長くは続きません。

好き勝手に生きている、実際そうしか目にうつらないのに本音は「生きた心地がしない、あまり安心できたことがない 」

何かの節に、本人が発した言葉にふざけているのか冗談だと聞き流しました。

 

ある時トラブルを起こし、専門の病院に入退院を繰り返す時期が続いたときのことです。ケースワーカーさんを介して

本人の『 いつも不安でたまらない、安心できるなにかも続かない、ほんとは安心して大丈夫だよ、なにがあっても味方だよって…言ってほしい』

それは、私たち家族に求めていた言葉であったこと。普段の言動からかけ離れた

もので、理解するまでにそこでも時間はかかりました。本人が口にする乱暴な話し方、表情とは相反するもので 本人と顔を合わせればいつもと変わらず…

 

『それは、自分を必死に守ってるんです

わかってあげてください。』と驚きと疑念ばかりが浮かんだのが今でも思い出せます。それだけ、乱闘のような取っ組み合いのケンカが日常に頻繁に起きていたからです。ですが、それはそれとし対応の仕方を教えてもらいました。 

できることなら家族みんなで同じように理解をして対応していくことが望ましいとのことでしたが、度重なる家庭内や外出先でのトラブルや、それに加え各々が仕事ややることがある中で問題に関わる時間も気持ちの余裕もなかったのは、仕方のないことでした。

目に見える形での怪我や病気とも異なり、厄介で難しいものだとつくづく痛感したものです。

 

そして 私も自分一人で、背負わなければならないんじゃないか、家族と共有できない孤立感のような感覚に苛まれました。その時、初めて身内である本人の気持ちが こうゆう寂しさなのか? とイメージすることができたのが 幸いでした。本人のそれまでの言動や、ケースワーカーさんのアドバイス、を前向きに考えるきっかけになりました。全てが本人にとって全て通るべき通過点であったと思えるようになり だいぶ肩の力が抜けれたような心境にもなりました。

 

対応の仕方にもう一つ、抱きしめるというのがあるのを思い出しました。まるで子育てのような感じもしますが、絶対的な安心と愛情という点では同じです。それぞれ患者さんの病状や、環境ではまた異なるのかもしれませんがうちの場合では、接し方で かなり改善できました。この病気を通して、いろいろと考えたり気づけたこと、家族だけでなく人との関わり方など あらゆることが学べたと今は思えます。 

 

本音を言えば、家族みんな似たような心境のときがあったのかもしれません。ただバランスをとれてるか、とれてないか

わずかな差でしかないのかとしたら…